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四国遍路結願、高野山下山してから、時々傍らに気配を感じていました。
ふわっと眼の端に映るお坊様の姿。
直感で大師? と思いながらも「まさかね」と否定していました。
しかし余りにもお姿がはっきりして来たので、
きちんと向き合ってお話をしなければと感じ「無」となる時間を。
こういう時は完全「無」となり書記に徹します。
「私は貴女に道案内をする者です。早々に高野に来られよ」との事。
そういえばあの執事が居る。声の確認がしたい。
ひょっとしたら私の勘違いだったかも知れない・・・
そう思う所もあって、同行希望の友と数人で日程を決め、宿の予約を取りました。
寺務所には変わらず美しい姿で執事が座り、挨拶を交わしながら、
「やっぱり間違いない。この声聞いた事がある。
それも親しい距離で会話をした事がある。どこで会ったんだろう」
滞在中、なるだけ言葉を掛け、声を確認しましたが、
確信はしたものの全く思い出せませんでした。
それからもお連れする同行者は変われど、数回高野に上りました。
そのうち酒の席に執事をお誘いする様になり、
「高野山に勤める迄はどちらに? 何をしていたの?」
と聞いてみても、どこにも接点は有りません。
私の記憶は間違っているんだろうか?
これを教えて下さったのは大師でした。
「この世には互いを見つけ出す『ふたなりの魂』が在ります。
お前様方は正にそのもの。これこそ天の仕業でしょうな。
大切なお役目が有ります。
『ふたなり』を揃えねば果たせぬ、
必ず果たさねばならぬお役目です。
完全なる神域を作る神示を預かっておられます。
かの地に辿り着く迄は修行。
整えば道が開かれましょうや。
この神示は、やがて見る人の世の地獄の救いとなりましょう。
『無償の愛』が必要です。
この役目を全うなさいませや。
『ふたなり』の片割れを、声の記憶で繋ぎましたぞ」
どこかで会った様な?
目に覚えがある、声に癖に覚えがある、でも思い出せない、
この風景の中に立っていた様な?でもここには来た事は無い、
など、決して気のせいではありません。
もしかしたら一瞬輪廻を覗いたのかも知れません。
「この執事、今は高野で火を噴く坊なれど、育てれば龍となりまする。
神道の教えを厳しく教え込み、共に神示に尽くす者として育てて頂きたい」
執事を預かり躾けよ、と言われたものの、そんな事は見て学べや!!と思っていました。
何から教えれば良いのか?そもそも頭を下げる事もなってない。
先ずは甘やかし、度を越せば叱責する事にしました。
時折、私の怒りが沸点を越せば「ウズメ」が顔を出します。
私の形相が変わり、声のトーンは低くなり、
「お前など足りぬ者。たかが寺で学んだ位で何様のつもりぞ。
我が巫の傍に座り人の世の有り様を見つめれば、己の無智に辿り着く。
朝から朝まで考えろ。弛んで寝れば夢の中でも答えを探せ」
これが「ウズメ」 鬼の躾です。
仏教が経のリズムの教えなら、
神道は荒波に放り込み、這い上がれと声を掛け背中を向けます。
這い上がれば更に激しい荒波に放り投げ、ただ見つめています。
それでも上がれば 「ほう」と一言。
大師は仰いました。
「私は、時を終えほんの少し空に浮く者です。
人の世から離れますと、人のさ迷う姿がよく見えます。
貴女は神世から白羽の矢を射られたお方。
神世の荒療治を女子の身ながらよく耐えられた。
洗礼も終え躾も整われたご様子。
なれば巫様とお呼びする。
我が名を『方丈』と覚えなされ。
この方丈、付かず離れず巫様をお守りする役目なり」
執事の名は「公章」
初回寿寿かけツアーバリ島(多分3〜40名位だったかなぁ?)では大いに力を発揮してくれました。
これを見て取った「ウズメ」が言いました。
「この坊、躾けようぞ」
旅好きと知り、こう声を掛けました。
「近い内モンゴル行くけど来る?」
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神世とは誠に厳し。
理屈では通れぬ道なり。
何故なら、人の世ならず空間だからです。
無理は無理でなく、常識は通らぬ。
情に溺れず、常に天の意志に身を任せなければならぬ。
巫になりたいと願うならおやめなさい。
すぐに欲に巻かれますでな。
魔に囚われようが、鬼に抱きつかれようが、諭す事は無し。
狐に巻かれようとも、ただ見つめ続ける神世。
如何に己を律するか、厳しさこそを知る道です。
神道の行場は心なり。
常に己を見つめ、己こそを鍛える。
一人孤独に放り込まれ、人の温もり・感謝を知る。
異次元を見せ、不思議を教え、存在を見せ付ける。
神世の役目とは、矢を射て放り、立てば次の試練を与え続ける。
そう育てられた者にこそ与えられる 巫の役目なり。
巫になり人の役に立ちたい、世の為に尽くしたいと願う御方がおられるならば、
人として役に立たれよ。
神道とは教えの無い道です。
ならば仏道とは、人の教えなり。
人が生きるに必要な教育です。
人は血と肉で造られ、産まれた世を生きる。
病むこと、こなすこと、踏む・踏まれること、
全ては生きる為の仕業なり。
戦い生き延びること、のし上がる、這いつくばる、全ては血と肉の仕業。
繰り返し学ぶ時、人は脳を育てています。
人は大地に生き続け、空を見上げ解放の時を待ちます。
仏道はその時までの学びの道です。
神道と仏道の違い、お分かり頂けましたかな。
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宇宙に小爆発が生じれば、その波動に人の脳は乱れます。
プラスかマイナスか。
神言に従ってプラスの波動に導かれる寿寿かけツアー。
常にテーマが有ります。
「神山」各国各地に存在する高山の頂は、宙に向かってそそり立つアンテナです。
アンテナは受け取った波動を大地に散らします。
青い星を守る為です。
寿寿かけツアーは、全て神示によって導かれていました。
◯月◯日◯時、ここに立て。
テーマは 「運命の変換」 「縁」 「寿命」 と様々です。
山頂を目指したり、海面の波動に包まれたり、石の回廊を歩き回ったり、
一人一人の脳の回路によって向く方向が違ったり。
各々が、行く先・勝ち取る夢を頭に描き手を合わせます。
但し、全てが叶うとは限りません。
神棚から夢は落ちて来ません。
一歩出す足は自分で決めるものだからです。
急ぎ走る者、引き摺る、止める者、御自身です。
旅の間、洗礼を受け脳の回路は勝手に動き、必要な形を作ってゆきます。
「アンテナ」 は宙のマイナスを緩め、プラスを静かに大地に拡散します。
山は偉大なる母、海は深い愛です。
傷付けてはいけません。
戦争は本当に愚かです。
さて 「この坊、躾けようぞ」 公章に必要な回路変革が始まりました。
モンゴル〜ウクライナ〜タイ〜マレーシア〜シンガポール〜
合間に次のツアーの下見を含めながらの旅です。
ポンポン出て行く費用にはへこたれましたが、神言ですから従うのみ。
ありがたい事に思わぬ援助が有ったり協力を得たり、
計画が滞る事は一度たりともありませんでした。
神示に沿い数ヶ月毎に各国を巡り、沸々と湧くエネルギーに触れる。
進めば必ず現れる歪みの空間。
(「光学迷彩」で検索してみて。そんな空間です)
メッセージはそこから届き、解読します。
対話の中にある教え。
浮かび上がる背景は、ガイドブックにあるロマンとは裏腹に残酷な歴史です。
それを公章に伝えれば「ウズメ」が公章に問います。
「お前、これをどう見るや」 「この戦の真実は何ぞ」
「この地で崇められた存在を如何に取るや」
ウズメの問い掛けは考える時間を与えません。
たとえ答えても詰まっても応じる事も無し。
つまり常に探し考えろという躾けです。
「何でだろう?」 が基本なのです。これはどなたにもですが。
チベットから帰国した翌日、
ずっと探し回っていた寿寿かけの社移転の土地が見つかりました。
一つステージアップの行場が終わった事を知らされます。
その夜、方丈は公章にこう話し掛けました。
「御坊よ。五体投地の様を如何に捉えたかな?」
「はい、一心に村人の為に身を捧げる祈り、感動し素晴らしいと思いました」
「御坊よ、お前ならそれをなさったかな?」
「はい、私に許されたならば」
「・・・ほう、愚かなり」
一瞬にして空気が凍り付きます。
私は媒体なので、発する声のトーン・言葉の間でそれが判ります。
この時の方丈の説教は、人の生き方ではなく、在り方でした。
深く、静かに、強く太い声、
その口調は、伝える私でさえも身が緊まりました。
公章には尚更のこと、ぐうの音も出ぬ有様で、
この夜公章は己の甘さを突き付けられ、身を半分に折り曲げ泣きじゃくりました。
私は襖を閉めさっさと寝ましたが、
「お前、甘いな!!」 の一言はさすがに呑み込みました。
すぐこ馴れては出て来る横着な言葉や態度に、ピクッと私のこめかみがキレた時、
ウズメは書記を使い公章にメールを送ります。
打ち込まれた文を読み返せば改めてドキドキする程の厳しい内容で、
「こりゃ公章出て行くな。手紙でも置いて行くか、メールで伝えて行くか。
いずれにしても出張から帰ったらもう居ないだろう。
まっ、しゃあないな」
何度かそう思った事がありました。
が、その度 玄関で正座をして私を迎え、反省を示しました。
「躾」とはこういう所です。
この一つ一つの教えに、私も深く己を見直します。
「先生」の呼び名は人を迷わせます。
大した人間ではないのに「何様」になってしまう。
「先生」こそ身を削り、反り返らぬよう叩き込まれたはずなのに、
何と情けないものかと恥じました。
知らぬ間に薄い座布団を何枚も重ね高い所から見下ろし、
心地良い座に着こうとしていたのかも知れません。
まさに正か邪の分かれ道に公章を宛てがわれ、
私こそを躾けられていたのだと目を覚ましました。
改めて公章に言いました。
「私は引き摺り込まれたこの世界で、右も左も判らず誰に聞く事も出来なかった。
判らない事だらけの道です。
私は手探りながらも歩み続け、今あなたを見つめ思う。
知ったふりでは進めない。ならば私に聞きなさい。
放り込まれたあなたに唯一許される事は、私に聞く事です」
躾けはまだ始まったばかりです。邪に染まらぬよう。