陽巫のこと



  • 「分かった。俺に任せろ」
    まさかの返事に心底驚きました。
    「政治への声が掛かった時、身辺調査をされている事は気付いていたが、
    お前にとばっちりが行くとは思わなかった。
    国税が入ったのは、他からの通報に間違いないだろう」
    そして、
    「すぐに会社名口座を開きなさい、そこに必要な分を振り込む」彼はそう言いました。
    まだ半信半疑でしたが、月曜日朝9時、銀行に行き言われた通りにすると、
    午後にはまとまったお金が振り込まれていました。
    全額を引き出し、車に戻り、暫くは放心状態でした。
    全身の力が抜け、運転も出来ない有り様だった事を覚えています。
    翌日、滞っていたものを片付け、やっと落ち着き、日常が戻りました。

    振り返れば、ここまで本当にたくさんの不思議が有りました。
    リースの店から始めた商売ですが、一年未満で権利譲渡の店舗を買いました。
    譲渡金600万円、不動産手数料、引越し迄の一カ月分の給料、改装費、これらを含めば1000万円必要でした。
    母の保証人で銀行に申し込むも、担保無しでは無理でした。
    別居中の息子の父親にも担保の相談をしましたが、
    銀行は「県外の物件では担保は無理だ」とけんもほろろでした。
    やっぱり無理だなぁ、高望みだわと自分を戒め諦めかけた時です。
    とんでもない申し出が有りました。
    64〜5才の小柄な社長さんはよくこう言ってました。
    「夜のお店のママさんは、キラキラした部屋に住み、昼まで寝て夕方化粧して出勤するものだと思っていたが、
    貴女は朝早くから御礼の葉書を書いて、昼間は菓子折り持って営業に動き、
    子供の勉強机が無ければまるで事務所の様な部屋だ」
    その社長さんは、教師〜校長〜宅建資格取得〜工務店経営者という変わった経緯をお持ちの方で、
    私が買った古い古い中古マンションの改装に入って下さった工務店さんでした。
    お酒は一滴も飲めず、雰囲気が好きだからと、
    社員さんとの打ち上げに使ってくれたり、時々一人でフラッと寄って下さいました。
    マンションの改装は一週間位の短いものでしたが、
    いつも私が早起きして事務仕事をしている様子を見て「感心だ」と褒めてくれ、一度頭を撫でて下さった事も有り、
    私は、お父さんと呼んでいました。
    そのお父さん社長に、欲しかったけど諦めた店の事を話すと、
    「一度見てみたい」と言い出し、
    連れて行くと「本当だねー。良い店だ!」と同じ意見でした。
    それから2〜3日後だったと思います。
    お父さん社長から電話が有り、
    「実印を持って◯◯銀行に来なさい」との事。
    「どうしたんですか?何ですか?」と聞いても、
    「いいからすぐ来なさい」と電話を切られました。
    とにかくすぐ着替え、車を走らせました。



  • 言われた通り、とにかく急いで銀行に行くと、支店長室に案内されました。
    GパンとTシャツだったので躊躇いながら入ると、お父さん社長がニコニコして座っていました。
    隣に居る険しい顔の方が支店長でしょう。
    「まあ座りなさい」お父さん社長に促され腰掛けると、
    いきなり支店長が私を見据えてこう言いました。
    「ママさん、経験も浅いのに大きな店をやりたいとか?」
    私は急な話の切り出しにとても狼狽えましたが、社長が割って入りました。
    「この支店長は私の教え子で、今は立派な銀行の支店長でね。私は借金は無いが幾つか定期預金を預けている。
    あの店は良い店だ。頑張っている人だから応援したくなった。
    必要なのは一千万だったね?」
    私は頭の中がパニックでした。
    突然ここに呼ばれてそんな話をされても・・・支店長はさっきから睨み付けているし。
    何と答えれば良いのかと動揺していると、
    「一千万で良いんだね?」ともう一度聞かれ「はい」
    緊張と驚きで心臓の音がドクンドクンと高鳴りました。
    支店長がお父さん社長に向いて座り直し「先生、失礼ながら、こんな何処の馬の骨とも知れない女の人に、
    御自分の定期を担保に入れてまでとは、先生らしくもない。考え直して下さい」
    社長は少し声を荒げて、
    「私の金を私が楽しい事に使う。お前の金じゃないだろう」
    と言いニヤッと笑いました。
    「実印は持って来た?保証人にはお母さんになって貰うよ」
    と私に念を押した上で、全ての段取りをその場で済ませるおつもりの様でした。
    定期担保の書類、借用書等に書き込んでいる時にも、
    「お母さんに頼みなさい。私も一緒に行き話すからね」と私を急かせるので、
    私は手が震え記入がとても下手な字になってしまいました。
    それを見た支店長は、呆れ顔で大きな溜め息をついていました。
    「よし、じゃ今からお母さんの所へ行きましょう。
    説明しないとびっくりなさるだろうからね」
    社長に言われ席を立とうとすると、
    「返済計画を立てて下さい。まだ何も聞いていません」
    支店長が慌てて引き止めました。
    すると社長は「それをこれから相談するんだ」と言い、一緒に銀行を出ました。
    各々車があるので、母の店の前の駐車場で待ち合わせた時、
    「支店長は私を心配して失礼な事を言ったが、私は全く心配していない。頑張りなさい」
    そう言い、私の肩をポンポンと叩き笑っていました。

    さて母の前に座っても何から話せば良いのか判りません。
    保証人を頼む前に銀行での一部始終を話さなければ。それが先です。
    しかし何と、口を切ったのは社長でした。
    「いやぁ、良い店があってねぇ〜
    家賃は今の半分、店内は品の良い内装で三倍広い。
    この人ならやるだろう。それを見たくて応援する事にしたんですよ。
    身内の保証人が必要なんで、良いですか」
    と全部、話をつけてくれました。
    母は何度か聞き返していましたが、少しづつ理解した後、目を丸くし、お茶をこぼしました。
    母は私に「社長には、一生足を向けて寝る事は出来ないよ」と言い、
    二人で並んで深々と頭を下げました。
    「息子さんもお金が掛かる時期だ。返済は急がなくて良い。無理なく返し終える様に」
    そう言って社長は帰られました。
    翌日、必要な物を整え銀行に行くと、迷惑そうな顔をした支店長から又言われました。
    「こんな事は始めてです。何処の馬の骨とも判らん人に、先生も全く物好きな」
    心底カチン!!ときました。
    腹を据えて掛からねばならない。
    とにかくお父さん社長の肩の荷を早く下ろさねば。
    「何処の馬の骨」この言葉を身体にしっかり刻み込みました。
    五年の返済計画でしたが、私は三年で終わらせる覚悟でした。
    店のオープンと同時に月二十万の定期を作り、
    息子の事、店の事以外には一切贅沢はせず、
    貯めた定期分と毎月の支払いで、一年で半分返済。
    お父さん社長も同席の上で残金五百万の返済契約書を三年に書き換えましたが、
    これを二年で完済。
    大変でしたが、やれば出来る自分を褒めました。
    お父さん社長は支店長に向かって満面の笑みで言いました。
    「支店長、一度飲みに行こうかね。私の自慢の教え子の店に」
    信じて下さったお父さん社長への責任を果たした私は、力が抜けた感じでした。
    何となく気力が失せ、暫くはクラゲの様にふわふわしていました。
    この後、気合いが抜けた私は、大きな失敗をします。



  • 「陽巫のこと」の読者さんから言われました。
    「先生って凄い人生です。私なんか比べものになりません」
    いいえ、それは違います。どなたも必死で生きています。
    各々が自分という人生の主役で、闘い続け守っています。
    敵は、人・金・力・病・・・いずれも強敵で、気を抜く暇無く闘っています。
    人は人生を生き抜いています。
    数年前、息子が脳内出血で倒れ入院した時、私は一年間病院に通いました。
    その時、様々な親子と関わりました。
    重度の障害を持つ少女がいました。
    腰にはコルセット、両脚に装具、瞳はうつろです。
    きっとこの先も状況は変わらないだろう我が子を生涯守り抜く親御さんの心を見つめながら、
    私など足りぬ者だとつくづく思い知りました。
    同時に、この先自分に何が出来るか、心に火が付きました。
    息子が倒れた事を知った友人が、
    「何で先生の息子さんですか?こんなに人に尽くしているのに」と憤っていました。
    いいえ、人は皆平等です。誰も特別ではありません。
    「命は取り留めましたが一生車椅子です」と言われた息子は、
    立ち上がり、歩き、勤めています。
    必死の努力と不屈の精神を息子に教わりました。
    もし私ならここまでやれただろうか?
    息子を心から尊敬しています。
    「生きる事こそ修行なり」
    高名な僧侶から頂いたお言葉で、私の心のど真ん中に刻んでいます。
    今、目の前にある辛い時間は、長い人生のほんの一頁。
    これを片付ければその先の扉が開く!と頑張る。
    新たな扉の先にはもっと辛い事も有るでしょう、がそれは人の成長の量りです。
    泣いて笑って噛み締めて生きましょう。
    人生はドラマ。誰もが主役で、代役は存在しません。
    私にも宙との約束がまだ一つ残っています。
    だから今も必死です。



  • 三年の返済計画は必死でした。
    当時、私には大きく支えて下さった方が居ました。
    自宅近所の美容室は、夜の社交場のママさん達多くの行きつけで、私もよく通っていました。
    その先生に、私が大きな店舗に移る事を伝えると、改装中にひょっこり覗きに来て下さいました。
    先生は店内を見回してこう言いました。
    「ママ、毎日和服で出勤しなさい。着物は私が持っているから」
    三年完済はこの一言で叶ったようなものです。
    先生は着付けをしながら、髪を結いながら、先輩ママさん方とのルールや禁止用語、
    着物での立ち居振る舞い、裾の捌き方まであらゆる事を教育して下さいました。
    先生はいつも優しく、時に本気で叱ってくれ、私には実の母より母でした。
    お父さん社長に独り立ちさせて貰い、お母さん先生に教育され、
    本当にお陰様あっての今だと常に感謝、「出しゃばらず謙虚に」を心掛けました。
    さて、やっと指輪を一つ、着物を一枚、と身嗜みを整えてゆくと、借り物とは違う重みを感じ、自信も付いて来ます。
    ママとして経営者として、少しづつ貫禄も付いてきたのか、お誘い事や頼まれ事が増えて来ました。
    が、こんなに緩い日々に気持ちは揺れていました。
    無我夢中だった三年間が恋しくなったのです。
    「そうか!借金が無いから心が浮いているんだ!借金は原動力なのか!」
    丁度その頃、頼まれ事が有りました。
    「娘が店を始めて三〜四ヶ月だが、借金が増えるだけでもう無理なようだ。力になって欲しい」との事。
    浮いていた私は二つ返事で引き受けました。
    暫く様子を見ながらも「一度勉強し直しなさい」と閉める事を勧め、
    その店は私が買い取る事にしました。
    「独立したい」と言っていた女の子にこの話をすると、
    大喜びで「自分に任せて欲しい」と申し出たので、
    私は出来る限りのバックアップをする事にしました。
    店内を小綺麗に改装した上で、全ての費用を三〜五年に分割。
    その時に譲渡の相談に応じるという契約書を交わしました。
    私には随分と危険が伴う内容でしたが、お父さん社長から教わった信頼を引き継ぎ、私も信じる事にしました。
    この様な店舗を二つ持ち、それも無難に過ぎていった十年目、
    お客様への感謝を込めた十周年記念パーティーを開催しました。
    会場はホテルのプールサイド。
    ジャズバンド、ダンサー、他催し物も盛り込み、8000円のパーティー券300枚完売。
    最後の御挨拶の頃には数人の友人達がプールに飛び込み盛り上げてくれました。
    その後暫くはパーティーの噂話を聞いた新しいお客様で、お店は又活気を取り戻しました。
    余程楽しかったのかお客様からは「次は何するの?」と聞かれましたが、
    私は枯れ果ててもうぺらぺらになっていました。



  • 脱力から気を取り戻し、なんとかやり越しながら間も無く十二年目を迎えようとしていた頃、
    気になる男性客が来店。
    身のこなしやお付き合いの広さから社会的な立場も窺え、
    来店を重ねるごとに安心出来る人だと知ります。
    お酒に酔うと何を言ってるのか解らないアホな所も見え、
    そのギャップが面白い人でした。
    何度か食事に誘われお付き合いが始まり、
    数ヶ月後に「将来を考えている」と言われ、私も息子に紹介するまでになります。
    そして私は十二周年パーティーでけじめをつける事を決意。
    少しづつ現役から退く準備を始めます。
    15坪程の物件を見つけ、ここをスタッフの為の店とし内装にもこだわりました。
    跡継ぎのママを教育し、本店移転の案内を出し、
    長く守ってきた広い店舗は売りに出しました。
    直ぐに買い手は付くだろうと高を括っていました。
    だからそれを当てにして、新店の内装にはこだわりを詰め込みました。
    店の看板を守りたかったのでしょう。
    「スタッフの為に」と周囲には格好を付けていましたが、
    後でそれは見栄だったのだと気付きます。
    売りに出した店は広過ぎて中々売れず、売り値を半分近く下げてやっと片付きました。
    新店は出足こそ順調でしたが長くは続かず、
    三ヶ月もすると売り上げは落ち、私は退くに退けなくなりました。
    立て直す為に一度初心に戻り、朝はおハガキ、昼は営業に走りながら、
    どれだけ自分が怠慢で横着だったか知りました。
    少し上向きになりかけた頃に彼の疎遠、そして国税でした。
    どうやって立っていたか思い出せません。
    心が空っぽだったからこそタロット占いに縋りました。
    自動書記・神仏の存在に導かれなければどうなっていたのでしょう?
    彼の復縁の申し出は神仏からお手配頂いたものだとしか説明のしようがなく、
    救いの手を差し伸べられ、一つ一つ書記の指示に従って行いました。
    持っていたリース店舗は二つとも売却、
    彼からの援助で肩の荷もだいぶ楽になりました。
    そんなある日、強い力で神棚の前に引っ張られました。
    「電話が入ります。こう言いなさい。『お墓参り?』と」
    直ぐに電話があり、雑談の途中「お墓参り?」と言うと彼はこう答えました。
    「何で分かるんだ。気持ち悪いな。見てるのか?」
    不快さを表した彼の口調に私はびっくりしました。
    え?どういう事?
    戸惑いながらも何とか誤魔化しましたが、意味が解りませんでした。
    神棚の前でこれを問うと、
    「私は貴女を必ず守ります。彼に『自分に起きている現象』を話しなさい。
    何も恐れる事は無い。私が居ます。我が名はウズメ」
    え?何で?気持ち悪いって言っていた。そりゃそうだろう。何?だいたいウズメって何?
    本屋に行くと右手が勝手に動き、必要な本を引っ張り出してくれました。
    「神道の本」でした。



  • 神道という世界を初めて知りました。
    私が生きている人の道では無く、浮き出た世界の様に思えました。
    素直に手を合わせる御参りでは「どうぞ私が道を外しません様に」と祈ります。
    それで良いのか知りませんが、願い事をする場所では無いと思っていました。
    神社には神様がいらして心の中を見透かされると思っていたので、
    「私は間違っていませんか?」そう自分に問い掛ける場所、神様に見つめて頂く所だと思っていました。
    神道の本の中で「ウズメ」の名を見つけました。
    それでなのか、突然 書記との会話はより深く難しくなっていきます。
    翌朝、神棚の前に座るとこう言われます。
    「私の言葉を第一としなさい。彼が来たら必ず話しなさい」
    週末はゴルフの約束で彼が迎えに来る事になっていました。
    「少し早めに来て欲しい」と頼み、
    私は恐る恐る自分の身に起きている事を話しました。
    「俺が背を向けたショックで起きた事だろう。もう心配するな」と私の話を受け止めました。が、
    「そういう現象は長い医者経験の中で知っている。先ずそれを片付けよう。
    頭の数ヶ所にブロック注射を打ち、無駄に開いたセンスを閉じる方法がある。
    暫くボンヤリするが直ぐ落ち着く。
    心配するな。俺が一生面倒見る」
    これは医者として本気の判断でした。
    私の中で何かが弾けました。
    何故だか判りません。
    腹が立って感情を抑える事が出来ません。
    しかし静かに言いました。
    「この見えない力に蓋をして、見なかった事にして一生をボンヤリ生きるの?
    私は鳥籠に入って貴方が餌を運んでくれるの?
    私は鳥籠に入らない。
    自分に起きている事を、それが何者なのかを見届けないと一生後悔する。
    今ここで別れよう。鍵を返して頂戴!」
    私自身、自分の口から出る言葉に驚きましたが、
    ゴルフの迎えに来て一緒に出掛けるはずが鍵を置いて一人で部屋を出る事になるなんて、
    彼には「なんて日だ!!」だったでしょうね。
    私が頑として動かないので、彼はとりあえず部屋を出ました。
    その後、何度も何度も電話をくれたり、チャイムを鳴らしたり、友人を介して説得されたり・・・
    が、私は一切聞き入れませんでした。
    何故あんなに頑なだったのか、曖昧に流せなかったのか?
    私はウズメを知りました。
    あの時の怒りはウズメの道案内だったのです。
    だってたかが30分の会話で決めたのですから。
    別れの翌日、私は不動産屋に行き、
    見栄の塊で作った最後の店を売りに出しました。
    条件の良い物件だったので早々に買い手は付き、
    その全ては国金の支払いに充てました。
    ここで大きな支払いが一つ片付きました。
    が、直ぐにでも働かなくてはなりません。
    それでも毎月の支払いはまだ30万近く有り、
    店を失くした今、収入の当ては一つも有りませんでした。
    神棚の前に座りどんなお言葉を掛けて頂いても、そこからお金は落ちて来ません。
    不安に押し潰される中、それは正に降って湧いた様な話でした。
    長いお付き合いの常連のお客様です。
    「貸金の形にレストランを引き取ったが任せる人が居ない。やってくれないか?
    給料は毎月いくら必要ですか?」
    私は迷わず現状の支払い額、生活に必要な金額を伝えました。
    それはウズメから聞いていた事でしたから。
    「ウ〜ン」と考え込んだ上で条件を出されました。
    「一年で貸した金が戻れば良い。自信は有りますか?」の返事に、
    「はい。やらせて下さい」
    一年間、ただ売り上げを伸ばす事。
    頂く給料の倍は利益を上げなければなりません。
    必死でした。
    この助け舟を沈める事は、私自身が許しませんでした。
    一年間、ひたすら働き、ひたすら返済し、
    勤め終えた時には、借金は自宅マンションのローンだけになりました。
    この一年、小銭しか持ってなかった。
    休日の御飯は、心配してくれる友人が、まるで当番の様に食べさせてくれました。
    この友には心から、心から感謝しています。
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